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神戸地方裁判所 平成2年(わ)630号 判決 1993年2月10日

主文

被告人を禁錮一年に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(被告人の経歴等)

被告人は、兵庫県立出石高校を経て、昭和五一年三月、関西大学社会学部社会科を卒業後、同年四月からは同県立西脇工業高校に、同五五年四月からは同県立松陽高校に勤めた後、同六二年四月に同県立神戸高校に転勤し、教諭として社会科を担当する傍ら、最初の一年間は生徒指導部の生活指導係の専任をした後、同六三年度から平成二年度にかけて、第一学年から第三学年までいわゆる持ち上がりの学年副主任をし、この間を通じて生徒指導部生活指導係を兼任し、生徒指導にあたっていた。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六二年四月から、神戸市<番地略>所在の兵庫県立神戸高塚高校教諭として、同校生徒の生活指導の一環である校門指導の当番に当たり、その日には、登校時刻である午前八時三〇分に遅刻者を確認するとともにその指導をするため、同校生徒通用門を閉鎖する業務に従事していた者であるところ、平成二年七月六日午前八時二〇分ころから、同通用門あるいはその東方の道路脇付近において、登校する生徒に対し、遅刻しないように呼び掛けをしたのち、門扉の西端に立ち、午前八時三〇分の予鈴のチャイムの鳴り始めと同時にこれを押して門扉を閉鎖しようとしたが、この門扉は、長さ約六メートル、高さ約1.5メートル、幅約0.62メートル、重さ約二三〇キログラムの鉄柵製引き戸で、その底部の小車輪により、通用門の間口の幅約5.97メートルの路面に設けられたレール上を人力で移動させて、東側のコンクリート製門壁との間を閉鎖する構造であり、当時、多数の生徒が遅刻を避けようとして通用門を急いで通過していたので、門扉を不用意に閉鎖すると、これが生徒の身体に当たり、門壁との間に生徒の身体を挾むなどして生徒が負傷するなどの危険があったから、門扉を閉鎖する者としては、登校してくる生徒の動静を十分確認し、その安全を図りながらこれを閉鎖し、もって事故の発生を防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、予鈴のチャイムの鳴り始めの時刻に、通用門を通過する生徒の姿が一瞬途切れたのを見て、もはや通用門に入ってくる生徒はいないものと軽信し、門外から通用門に向う生徒の動静を確かめないまま、門扉をその後方から両手で押して閉鎖した業務上の過失により、折から通用門を通って門内に入ろうとした同校生徒であるE(当時一五歳)の頭部を門扉と東側門壁との間に強圧して、同女に対し頭蓋底粉砕骨折等の障害を負わせ、よって同女を同日午前一〇時二五分ころ、同市須磨区<番地略>国立神戸病院において、右傷害に基づく脳挫滅により死亡するに至らせたものである。

(証拠の標目)<省略>

(事実認定についての補足説明)

一弁護人らの主張の要旨

弁護人らは、被告人は無罪である旨主張し、その理由として、ほぼ次のように述べている。

1  本件の背景と起訴の不当

兵庫県は、高校中退者が多く、同県の高校教育は、内申書重視の兵庫方式で、神戸高塚高校(以下、「高塚高校」という。)はその所謂底辺校に属し、教育困難校である。本件は底辺校の困難な事態の中で、学校や兵庫県教育委員会(以下、「県教委」という。)の方針に忠実な被告人が、決められたとおりの校門指導をした際に偶々発生した事故で、後述のように被告人には過失がなく、本件は十分な討議も共通認識もないまま校門指導を実施させていた学校管理者と県教委の怠慢から生じたものであるのに、校長、教頭、県教委に責任が及ぶことを恐れ、一人被告人だけの責任とした捜査、起訴には問題がある。

2  高塚高校における校門指導

(一) 昭和五九年四月開校した高塚高校の初代中西俊明校長は、新設高校の校長として短期間に実績をあげるため、生活指導に力点をおき、当時国鉄明石駅と神戸市営地下鉄名谷駅(その後は学園都市駅)の各駅前で生徒をバスに乗せる、いわゆるバス指導を開始し、地下鉄の西神中央駅までの開通によって生徒がバスを利用しなくなったのちは、校門指導をするようになった。

もともと校門指導は、昭和四五年をピークとする学園の混乱から回復するために県下で始まった非行防止策の一環であり、これを県教委が認知し、奨励したものである。

高塚高校での校門指導の開始に関して行われた職員会議は、形式的なもので、本件当日被告人とともに校門指導をしていた西田卓司教諭、春日裕子講師を含めほとんどの教師(以下、教諭、講師を含めて、教師という。)が校門指導の方針、導入経緯、意義目的について共通認識がないなど、教師間の意思統一の形跡がなく、昭和六二年四月に松陽高校から赴任した被告人としては、校門指導は教師間で論議して実施していると思ったのに、人によってその理解、認識が違うのに驚いた。

(二) 高塚高校では、八時三〇分の予鈴の鳴り始めで門を閉めて指導する方法をとることが当初から決められていた。しかし、職員会議等では、門を閉めることに伴う危険の問題意識がなく、教師間の役割分担は決められておらず、指導にあたる教師が初めの五人から三人に減らされたときも、生徒の安全についての配慮はされなかった。三人となった後の役割分担は、指導の実践の中で自ずと決まり、マイクを持って生徒を追い込む者、門前で制止する者、門を押す者という分担がほぼ全員のやり方として経験的に了解されてきた。

3  被告人の行為に業務性がないこと

刑法二一一条にいう業務は、本条の趣旨が、社会生活上、その行為が生命、身体に対する大きな脅威をなすものと一般に知られているような行為については、それを行う際特別に慎重な態度をとるよう要求する点にあることから、当該行為の客観的危険性がとくに大きいことを要するが、校門指導に際しての門扉閉鎖は、客観的危険性の大きい行為ではない。そして、検察官が、不用意に門扉を閉めると生徒を負傷させる危険性があるというのは、一般的抽象的危険性であって、どのドアについてもいえることで、自転車の運転と同様、それだけでは同条のいう業務の要件を満たさない。同条の定める業務は、もっと個別的、具体的な危険性を持つものをいうのであるところ、門扉閉鎖については、過去に実際に危険が発生しかけた証拠はなく、校門指導の立案者も、門扉を閉めることの危険性を考えたことはなかったのであり、個別的具体的な危険性が存在したことの証拠はないから、門扉閉鎖行為は業務に該当しない。

4  被告人に注意義務、過失責任がないこと

(一) 当日のEら登校生徒の動向

(1) 八時三〇分のチャイムの鳴り始めには、渡辺規子はすでに門を通過しつつあり、三宅悟、南隆一郎がこれに続き、穂森正隆、富剛、山口、坪田、三須、佐々木督、佐々木賢、延命寺正善、太田鉄兵らが一団でこれに続いており、少し間をおいて、村上太郎、久戸瀬泰、若林敏和がおり、その後にE、小牧綾がいたとみられる。

(2) その後門扉が動いて半分位閉まるまでに三宅と富は通過し、半分閉まった時点で穂森と南がほぼ同時に通過したが、その時点で南、穂森の直後に山口、坪田、三須、太田がおり、この集団から少し遅れて村上、佐々木督、佐々木賢及びおそらく延命寺、若林、久戸瀬がおり、その後ろにEと小牧がいたとみられる。

(3) そして、門扉が閉まりきるまでに、南、穂森、山口、坪田、三須、太田は通過し、門扉が閉まりきる時点では、村上、佐々木督、佐々木賢、小牧は門扉の直前で止まり、おそらく久戸瀬、若林、延命寺もその後ろにいたが、Eはこの一団の前へ出て、門を通ろうとし、門扉と壁の間に挾まれた。

(二) Eの校門への突入状況

(1) 門扉と壁が1.5メートルくらいになったとき、他の生徒は諦めて立ち止まったため、生徒の流れは一、二秒間途切れた。

(2) しかし、Eは、門扉の前にいた生徒の集団を避けて、校門に向かって右側から回り込み、閉まってくる門扉のわずか五〇センチメートルくらいの隙間へ飛び込もうとした。

(3) このときEは門をすり抜けようとして、全力疾走のように前傾姿勢をとり、身体を縮ませて前かがみになっていた。

(4) このように、客観的には門扉の隙間は通過できるほどの幅がないのに、なぜかEが勢い余って飛び込んだために、本件事故が発生した。

(三) 西田教諭、春日講師の事故当日の役割と行動

(1) 春日は、事故直前、門から五〇メートル近く離れていた。同人が門へ向かったのは、門の近くに置いた遅刻者記録簿三冊を取るためというのであるが、同人は、本来、校門直前にいて事故防止のため監視し、制止する役割をすべきであった。同人は、門扉が閉められることを知っていて生徒に警告していたのに、門扉が閉まるから走れと言ったのは、危険である。同人が門前にいさえすれば、Eまたは被告人を十分制止して事故を未然に防止するか、軽い怪我でおさめることが可能であった。

(2) 西田も、門扉を閉めて指導することは知っていたはずであり、自分が生徒を急がせて門へ突入させたら、危険であることも分かるはずである。当日、一五〇メートルも離れて遅れてくる一人の生徒を待って一緒に校門に向かうようなことをせず、混雑する校門にいち早く着くのが役目であって、その行為は職務怠慢である。

(四) 被告人の行動

(1) 事故当日、初めは、校門に続く東方の石垣の上を歩いて、マイクで生徒を急がせ、八時二八分に引き返して門の方向に戻るとき、西田が石垣の駅寄りの端にいるのを確認した。

(2) その後、生徒に声を掛けて急がせ、八時三〇分の二〇秒前には門扉の北西後端に位置し、閉鎖方向を向いて立った。

西田、春日に対する合図のつもりで、「五秒前、閉めるぞ。」と声を掛けた。

(3) 門扉を閉鎖するとき、初めは後端に両手を当て、やや力を入れて少し前かがみになり、二、三歩目からは力は要らず、普通に歩いて、正面を見ていた。

門扉を閉めるまで、門の外の見通しは全く効かない。門扉の先端が壁から1.3メートルになったとき初めて門外が見え始めるが、門の北西付近は死角である。門扉は普通に押しても、制動距離が2.16メートルであり、事故回避は不可能である。また、門外の声も、ガラガラいう門扉の音で聞こえない。被告人は、門扉を特別速く閉めてはおらず、普通に押して歩いた。被告人の検察官調書に、「小走り」したような記載があるのは、検察官が書いたものである。

押し始めて、門が半分閉まったころ、数名の生徒が通過し、その後、Eが挾まれるまで生徒の通過は八ないし一〇メートル途切れた。八メートルとしても、Eが全速で走る時間として、約二秒途切れていたことになるが、Eが挾まれた状況や、門扉を押す場合、制動距離が約2.16メートルであること、門外から門へ近づく生徒は被告人の位置からは見えないことから、被告人が門を押し始めたのちは、事前にEを発見して事故を回避することは不可能である。

被告人は、門扉を閉鎖するとき、春日と西田が門前の南東側門壁前で待機していると思っており、この二人が生徒を制止してくれると思っていた。

(五) 被告人に注意義務違反がないこと

(1) 注意義務違反認定の視点

本件は、予想されなかった事故であり、基本的に、未知の事故の注意義務違反の認定は慎重にすべきである。

(2) 予見可能性

注意義務の前提として、通常人の注意能力を基準にして、現に生じた結果と因果関係の概要を予見することが可能でなければならないが、本件では、門扉が頭部に衝突しないと死の結果は発生しないところ、生徒が前傾姿勢で通過しようとすることは、予見できない。

また、現に、他の生徒は諦めて停止しており、成人に近い判断力のある生徒が、危険を省みず通過する行為に出ることは、予見できない。

(3) 結果回避義務

ア 信頼の原則により被告人に結果回避義務がないこと

ⅰ 高塚高校で、校門指導に当たる教師の役割は、自然に形成されており、閉める役以外の教師はチャイムが鳴るまでに門前に集まり、チャイムを合図に、他の教師は遅れてきた生徒を制止していた。被告人は、これを信頼して閉鎖したのであり、被告人には、他の教師がルールに違反して待機していないことを想定した結果回避行為の義務はない。

ⅱ 門扉を速やかに、安全に閉鎖するには、教師の連携が不可欠であり、他の教師がその役割を正確に果たしていることを信頼しなければ、時間どおりに門扉を閉鎖することはできないから、これを信頼してよく、他の教師が配置についているかどうかを確認する義務はない。

ⅲ 高塚高校におけるこの役割分担は、過去三年余に、自然に形成されており、被告人としては、事故当日、春日、西田がルールに違反して生徒の制止役をしないと予想すべき特段の事情はなかった。

イ その他、被告人に結果回避義務がないこと

各教師に、各自の役割を果たすように指導することは被告人が努めるべきことではない。責められるべきは、校門指導を導入したのに、安全確保のための指導を一切してこなかった校長、教頭である。

門扉の後ろから押すことは、他の教師もしており、指導にあたる他の教師が生徒を制止すれば危険はないから、この閉め方自体を回避すべき注意義務もない。

二裁判所の判断

取調済みの関係証拠によると、前記認定の事実のほか、次の事実を認めることができる。(以下、かっこ書きで主な関係証拠を挙げる。)

1 高塚高校における生活指導、校門指導について

(一)  学校教育法四二条一号、同法施行規則五七条の二、高等学校学習指導要領(昭和五三年八月三〇日文部省告示一六三号)第一章第七款6(3)において、「教師と生徒及び生徒相互の好ましい人間関係を育て、生徒指導の充実を図ること。」とされ、右指導要領の改正である平成元年三月一五日文部省告示二六号(平成六年四月一日施行予定)のための移行措置を定めた平成元年一一月三〇日付け文部事務次官通達「現行の高等学校学習指導要領の特定を定める告示等の制定について」には、改正による指導要領第一章第六款6(3)のいう「教師と生徒及び生徒相互の好ましい人間関係を育て、生徒が主体的に判断、行動し、積極的に自己を生かしていくことができるよう、生徒指導の充実を図ること。」の趣旨を積極的に生かしていくよう定められていることなどから、高校においても、遅刻指導を含めた生活習慣についても指導すべきであるとされている。(<書証番号略>)

(二)  従来、兵庫県においては、高校等の教育機関において、その生徒児童に対する生活面を含む指導に困難が生じており、教育の実が上がらないという認識から、昭和四五年ころ以降、生徒指導の充実、徹底に関する通達(昭和四五年一〇月二〇日教学第一三五四号)や、生徒指導体制の強化についての通達(同五一年一一月二六日教義第三四九号)を発して、教師の勇気ある指導で学校を立ち直らせるように、また、教師は事態から逃避することなく、生徒指導について勇気ある発言をするように指示したりしていたが、教育現場である各高校においても、問題意識を持った教師により、生徒の風紀、生活面を含む具体的な生徒指導の方策が実行されてきた。

登校時における生徒に対する服装、風紀に関する観察、指導、遅刻防止等の指導は、その方策の一つであり、県内の高校の中には、教師が生徒の登校時刻に校門に立って生徒に接し、このような指導を行っている学校があった。

(<書証番号略>)

(三)  高塚高校は、神戸西区内に開発された西神ニュータウン内に昭和五九年四月一日新設された全日制普通科の高校で、平成二年四月当時、教諭、講師その他の教職員数は校長以下七九名、生徒数は第一学年五一八名、第二学年五一五名、第三学年五一四名であり、各学年とも一一学級で編成されていた。

開校当時、生徒の多くはJR明石駅または神戸市営地下鉄名谷駅等からバスで通学しており、座席に座りたいため、満員でもないバスをやり過ごし、結果として遅刻する者が多く、周囲からも生徒のバス乗車に関して苦情が寄せられたこともあった。

初代校長である中西俊明は、生徒に対する生活指導において、「遅刻をしないこと」を生徒の基本的な心構えの一つとして掲げており、同校長の指示により、同校の生徒指導部が、日常生活における風紀、規律指導の一環として、登校時刻に両駅に教師一、二名ずつを当番制で派遣し、生徒をバスに乗車させる指導をする案を策定し、校務運営委員会の決議を経て、職員会議で報告され、バスの乗車指導が実施された。その後、昭和六〇年に、明石駅の指導は苦情が少ないため中止したが、名谷駅の指導は、同年の地下鉄の延長により生徒の乗降が学園都市駅に移ったのちも続けられた。しかし、同六二年三月に地下鉄が西神中央駅まで延び、大多数の生徒が地下鉄による通学に切替えたのに伴い、このバス乗車指導は不要となったので中止された。

ところが、地下鉄での通学が始まって以来、多くの生徒が午前八時一七分着の電車で西神中央駅に降りたのち、同駅から約八〇〇メートルの歩道を高塚高校生徒通用門まで延々とつながり歩いて通学するようになったことから、同月以降、午前八時三〇分の登校時刻ぎりぎりに通用門に掛け込む生徒が増え、遅刻者が増加した。そこで、同六二年三月、中西校長の指示に基づき、生徒指導部会において、当番の教師が午前八時一五分から八時五〇分まで通用門付近に立ち、遅刻指導、服装チェック、交通指導、挨拶の励行等を行い、その際遅刻者の把握を確実かつ容易にする方策として、登校時刻に通用門の門扉を閉鎖することとし、遅刻者には罰としてグラウンドを走らせることを内容とする校門指導の原案を作り、校務運営委員会が同年四月七日の職員会議に報告の上、校長の決裁により校門指導が決定、実施されるに至った。

(<書証番号略>)

2 高塚高校の校門指導の実情

(一)  右校門指導の実施については、当初同六二年四月から、生徒指導部長がバス指導当時の当番表を参考に作成した当番表に従い、毎朝四、五名の教師が交替で通用門付近で遅刻生徒等の指導を行っていたが、当番の回数が多いという苦情がでて、同六三年四月からは、人数が三名に減らされ、生徒指導部長が、専任の生徒指導部員と各学年の副主任のグループ、各部長等の担任を持たないグループ、学級担任のグループの三グループから一名ずつを出す方法で三名を選び、毎月当番表を作って職員会議で配付していた。

校門指導における遅刻指導としては、教師が登校時刻前に通用門外の歩道付近へ出て、歩いてくる生徒を急がせ、登校時刻である午前八時三〇分には、予鈴のチャイムに合わせて門扉を閉じ、教師が遅刻者の氏名、所属を確認して学年毎の記録簿に記入し、ペナルティとしてグラウンドを走らせるなどしていた。

(<書証番号略>)

(二)  しかし、平成二年七月当時、校門指導にあたる三名の教師の門扉閉鎖の作業の際の分担や生徒の安全確認のための方策については、校務運営委員会、職員会議においても何の取決めもなく、門扉の閉鎖に際しては、門扉を閉める者、門扉の前にいる者、門より東方の道路沿いの石垣の上あたりから生徒に声を掛けて急がせる者に分かれる場合、あるいは門扉を二人で閉める場合があった。

この分担は、当日通用門に集まった当番教師が生徒指導部員であるかどうか、性別、過去の分担の経験等から自然に決まったり、通用門に早く到着した者から順次自発的に役割を引き受けたりしており、役割分担の決め方について特に慣行もなかった。

更に、高塚高校の生徒通用門は、東から西へ閉まるレール付きの鉄柵製の扉になっているが、この門扉の閉鎖方法についても学校側の指示や申合せはなかったため、校門指導にあたり、完全に閉め切るのかどうか、閉めるに当たっては門扉を押すか、引くかなどの具体的方法、予鈴の時刻に生徒が集団となって門を通過している場合に、集団の中間で門扉を閉めるのか、その集団は通過させるのかどうか、また、八時三〇分の予鈴の鳴り始めで厳格に閉めるか、余裕をみて生徒を通過させる方針をとるかなどの点については、門扉が動いているときに生徒が門を通過することに対する危険感が教師によって違うことなどから、これもまた、教師により、また当日の教師の組合せによりまちまちであり、一定のものはなかった。

(三)  当時行われていた具体的な門扉の閉め方としては、門扉の西端に立ってこれを一人で押す方法のほか、門扉の長さの中間あたり、または東端を門内から持って押す方法、門扉を少し押し出したあと門外へ出て、東端を持って押して行く方法、門扉の東端に立って門扉を引っ張って閉める方法が行われ、更に、門扉を閉め切って遅刻者を特定する方法、門扉と門壁の間を人一人通れる分とか、約二メートルとかの幅だけ残し、その前に教師が立って、両手を広げるなどして遅刻者を停める方法などが行われており、その仕方は、同じ教師でも常に同一ではなかった。

(四)  門扉閉鎖による校門指導は、本件事故までに約三年間余り実施されているが、この間、生徒が遅刻扱いを免れるため急いで門を通過しようとするため、閉まってくる門扉につまづいて前のめりになったり、閉まってくる門扉を数人で押し返したりする者があり、それ以外にも、門扉を自ら閉めた教師のなかに、門扉が登校する生徒の身体に当たりそうな不安を感じて、その閉め方に特に注意している者もあった。

昭和六三年度中に、当時の前田勇雄生徒指導部長は、危険を感じた教師の一人から、集団で登校してくる生徒に対し門を閉めるのは危険であるとの申し入れを受けたことがあり、その他にも、門扉の閉鎖時に、生徒のスカートや鞄が門扉に挾まれたということを聞いたことなどから、職員朝礼の機会などに、数回にわたり、教師らに対し、門扉を強引に閉めないようにという趣旨の指示をしたことがあった。しかし、この注意は教師間に十分徹底しないままであり、この時期にも、学校側において、生徒の安全を考慮して校門指導に当たる三名の教師の作業分担や、門扉の具体的な閉鎖方法を定めるような措置はとられなかった。

(<書証番号略>)

3 被告人自身の校門指導状況

(一)  被告人は、前記のように大学を卒業して県立西脇工業高校に新任の教諭として赴任したが、同高校はいわゆる荒れた状況にあり、被告人はこれを改善する方法として、まず野球部の活動に力を入れ、その対外試合実績を上げることから生徒に自信を持たせ、そのころ陸上部の実力もついてきたことなどから、生徒の規律等が改善されたという経験を持ち、その後に勤務した松陽高校でも、女子の比率の高い同校での生徒の生活指導に努力し、昭和六二年四月に中西校長の要請を受けて高塚高校に赴任してからも、当時新設校の一つであった同校の生徒に対して、服装、遅刻指導等、形式的なことから始める指導も大事であり、規律を身につけさせ、生徒に自信を持たせたいという考えを持ち、生徒指導部所属の教師として、遅刻指導を含む校門指導についても、熱心にこれを実施していた。

(二)  被告人は、当番表によって月一、二回程度校門指導に従事し、過去六〇回以上の当番のうち、二〇数回は門扉を閉める役をし、多くの場合、門扉の西端に立ってこれを押す方法で閉めていたが、同六二年五月ころ、数人の生徒に押し返されてよろめいたことなどから、これでは危ないと思い、その後は、マイクで生徒を急がせて、なるべく時刻までに生徒を門内に入れてしまってから閉めるようにしていた。(<書証番号略>)

(三)  しかし、生徒の中には、過去に被告人の閉める門扉に挾まれそうになって押し返した者、被告人の閉める門扉が肘に当たった者、腕に当たった者などがあり、教師の中にも、被告人の閉める門扉に生徒が足を引っ掛けて前のめりになったのを見た者がある。(<書証番号略>)

4 本件事故当日の被告人など当番教師の校門指導状況

(一)  平成二年七月六日は、高塚高校では学期末試験の初日であったが、一方、校門指導は平常通り行われていた。被告人は、校門指導開始の定刻である午前八時一五分には同校生徒通用門に行き、当日の当番である西田教諭、春日講師と出会い、同時刻ころから門外に立って、登校してくる生徒のあいさつを受けながら、その服装、態度等の指導をしていたが、八時二〇分ころになると、マイク(トランジスター・メガホン)を持って、門の東方のグラウンドの石垣伝いに東へ五〇メートル位行き、西神中央駅から歩いてくる生徒に向かって、「急げ。」と指示し、八時二七分ころには更に東へ四〇ないし五〇メートル移動し、「三分前。二分前。走ってこい。」などと呼び掛けた。その際、更に東のグラウンドの東端付近に、西田がいたので、被告人は門へ戻った。

(二)  被告人と他の二名の教師には、このあと、門扉の閉鎖、遅刻者に対する措置等の作業が予定されていたが、当日、三名の間では、門扉をだれがどのような方法で閉めるか、門扉は閉め切るのかどうか、その場合他の者はどうするのかなどについて何も打合せをしていなかった。

しかし、三名のなかで、被告人は校門指導の推進者である生徒指導部に所属する教師であり、指導には熱意を持っていたこと、春日は女性であって、門扉を閉める役には適しないこと、西田は門から相当遠くにいたことなどから、被告人は門扉を自分一人で押して閉めることにし、別に他の二名と門扉の閉め方の協議などはせず、そのまま門内に戻り、八時二八分ころには門扉の西端の位置についた。

(三)  門扉は、前記のとおり東西の長さ約六メートル、高さ約1.5メートル、幅約0.62メートル、重さ約二三〇キログラムの鉄柵製の引き戸であり、レール上を走るようになっているが、門扉が開いているときは、高さ約1.7メートルのコンクリート塀の南側の陰に沿って引き込まれているため、門扉の西端の位置にいる被告人からは、北側の門外の様子は全く見えないし、閉め切った時点でも、被告人の身体はまだこの塀の陰にあるばかりでなく、この間、門扉を押して行って、身体が門の開口部に近づいても、門扉の鉄柵の縦の棒の列が作る死角のため、あと約三〇センチメートルで閉め切りという地点まで、門外は見えず、この地点で初めて左方の門外が少し見えるが、それでも、門扉を先端を含む幅約一メートルの範囲は死角になるから、東から門に近づく生徒の姿は見えない状況である。(<書証番号略>)

一方、同時刻ころ、門の東方約八〇〇メートルの西神中央駅から生徒が徒歩で登校しており、八時三〇分の予鈴が鳴る直前ころには、同校生徒である三橋久美子、木下香織らが門を通過し、門外では渡辺規子、三宅悟、南隆一郎、穂森正隆、富剛、佐々木督、佐々木賢、延命寺正善、太田鉄兵、村上太郎、久戸瀬泰、若林敏和らが門に近づき、その後に、小牧綾とEが続いていた。

(四)  被告人は、かねて、自分の腕時計を秒単位まで正確に合わせておき、学期末試験等の際に終わりの時刻をいわゆるカウントダウンして生徒に聞かせることがあり、当日も時計は正確に合わせてあったので、前記の門扉西端の位置で東を向いて立って門扉に手をかけ、八時三〇分一〇秒前から、腕時計を見て、「一〇、九、八、七。」と数えた。このとき、生徒の列はまだ続いていた。このころ、西田、春日は、門から東方に離れており、被告人がどのような方法で門を閉めるかということも格別意識していなかった。

被告人の時計が八時三〇分丁度になると同時に、予鈴のチャイムも鳴り始めた。被告人は、このとき、門を通った生徒が門から2.5メートル位中に入ったように見えたので、もう、他に入ってくる生徒はいないと思いながら、下を向いて力を入れて門扉を押し始めた。

被告人としては、当日事前に何も打合せはしていないけれども、西田、春日が門の外側にいて、安全を確認してくれるものと思っていた。

被告人が押し始めると、門扉は、最初ゆっくりと動き、加速されて、押す力は余りいらなくなった。被告人は、両手を門扉に添えて押しながら前進し、門はどんどん狭まり、門扉は、レールの東端にある門壁に向かって直進していた。

(五)  チャイムが鳴り始めた八時三〇分の時点で、渡辺が門扉を通過し、三宅、南は門扉の直前にいた。門外の生徒は走っており、動き出した門扉が半分位閉まり、約三メートルの入口が残っている状態で、三宅、富、南、穂森ほか数名が通過し、更に狭まる門の隙間を太田も危うく通過したが、それより数メートル後ろにいた村上、佐々木督、佐々木賢らは、門扉が迫るのに危険を感じて、走るのをやめて門扉の外(北側)で立ち止まった。このため生徒の列は途切れたが、Eは、走り続けて、この停止した一団の生徒の前へ回り込み、前屈みで、身体を縮めるようにした姿勢のまま、約五〇センチメートルの幅になった門扉と門壁の隙間へ頭を突っ込むようになった瞬間、これと同時に閉め切られた門扉と門壁の間に頭を挟まれ、前記認定のように負傷したのち、死亡した。

(六)  被告人は、下を向いて門扉を押し始めたのち、前方を見るため上目使いになっており、その後門扉が加速されて、強い力で押す必要もなくなった時点では、正面を見ていたことが窺われるが、よく前を見ていたのではなく、このため、Eが挟まれたことに気付かなかった。そして、Eが挟まれ、門外に崩れるように倒れたのち、後続の佐々木賢が門扉と門壁の間に入って門扉を押し戻そうとしているのを見て、遅刻を免れるために無理に門を通ろうとしていると誤解し、同人に外へ出るように言うためこれに近づいたとき、初めて事故に気付いた。

(<書証番号略>)

(七)  このころ、春日は、門より東方の通学路の歩道上にいて門に近づきつつあったが、門は見えない位置であり、近くに来るまで事故に気付かずにいた。また、西田は、更に東方にいて、他の生徒から一五〇メートル位離れて一人で登校してくる遅刻生徒を待ち受けており、門は見えず、近くに来るまで事故には全く気付いていなかった。(<書証番号略>)

5 被告人の行為の義務性について

弁護人らは、校門を閉鎖する行為には他人の生命、身体への危険性がないことなどを挙げて、被告人の行為の業務性を争うのであるが、平成三年法律第三一号による改正前の刑法二一一条前段にいう業務は、人が社会生活上の地位に基づき反復継続して行う行為であって、かつ、その行為は他人の生命身体に危害を加える虞あることを必要とする(最高裁判所昭和三三年四月一八日判決、刑集一二巻六号一〇九〇頁)と解されるところ、前記認定のとおり、被告人は、昭和六二年四月以降、高塚高校の生徒指導部員である教諭として、校長の教育方針に基づく校務運営委員会の決議により、生徒指導の一環をなす遅刻防止等のため、校門指導、遅刻指導を実施し、校門指導の当番の際には、登校時刻に門扉を閉鎖する行為をしていたもので、門扉を閉鎖する行為は、被告人の社会生活上の地位に基づき反復継続して行う行為であるということができる。

そして、本件の門扉や門壁の構造、大きさ、重量等は前記認定のとおりであり、また、引き戸である本件の門扉は、普通の閉鎖速度である時速四ないし五キロメートル程度でも、人の側頭骨に骨折を起こす値の1.5ないし三倍のエネルギーを持ち、人を死傷させる可能性があることが認められる上(<書証番号略>)、本件での門扉閉鎖行為は、生徒が通用門へ駆け込む登校時刻に行うのであるから、閉鎖速度など門扉の閉鎖方法と生徒の動静によっては、門扉を生徒の身体に当て、あるいは、門壁との間に生徒を挟むなどして、生徒の生命身体に対し危害を及ぼす虞を有するものであることが認められる。

してみると、校門指導に際して門扉を閉鎖する行為は、前記刑法二一一条前段の業務としての行為に該当すると解される。

6 被告人の過失について

(一) 過失の有無を判断すべき基準の時点等

(1) 本件では、Eが門扉と門壁に挟まれるより前に、被告人が生徒の動静を十分確認しておくことができれば、事故を防止できたと考えられるのであるが、実際には、前記認定のとおり、この門扉を西端から押す場合、押し始めからほとんど閉め切った状態になる時点まで、門外の東方から登校のため門に近づく生徒の姿は死角のために全く見えないのであるから、被告人が門扉を押す間、仮に前方を注視し続けていたとしても、Eが門扉から門内に頭を出す瞬間まで、被告人にはEが見えず、門扉を押す方法による限り、前方注視によって事故を防止することはできない。そうすると、押す方法で門扉を閉めるについては、押し始める時点までに生徒の動静を十分確認して結果回避措置をとる必要があることになり、本件の過失は、この時点において判定すべきものであると考えられ、本件の公訴事実も同趣旨とみることができる。

(2) したがって、弁護人の主張する、Eの門への突入寸前の一、二秒の生徒の流れの途切れの点は、本件の過失の成否には関係がないことになる。

(3) このように、被告人の門扉閉鎖方法では、閉めている間は門外の生徒の存在、動静は見えないのであるから、登校時刻に門扉を閉める教師としては、門扉と生徒の接触等を避けるため、閉め始める前に門外をある程度遠くまで見るなどして、生徒がどの位置まで来ているか、その生徒が走ってきているか、歩いているかなどの動静を確認し、門扉が動いている間に門扉を通過しようとする者がないことを見極める必要があると考えられる。

(二)  事故発生の予見可能性

(1)  弁護人らは、本件では、注意義務の前提としての事故発生の予見可能性がないというのであるが、本件門扉は前記のような大きさ、重量の鉄柵製であり、レールの上を走って東端のコンクリートの門壁に来て(間隔二センチメートルを残して)閉じるものであるところ、この門扉と門壁に人が挟まれた場合は、頭部でなくても、身体の部分によっては、挟まれることにより死亡の結果を生じ得ることが推認でき、被告人が過去に二〇数回門扉閉鎖行為をした経験があって、門扉の大きさ、構造、重量や門壁の構造は十分知っていたと考えられることからすると、右の結果を生じ得ることは、被告人においても認識できたと認めるのが相当である。

そして、校門指導で門扉を閉めるに際しては、遅刻者とそうでない者を区別する目的があり、閉める時点で登校中の生徒があることは当然予想されるから、何の配慮もせずに門扉を閉鎖すれば、生徒を門扉で挟む可能性があることも、通常人として認識できるばかりでなく、被告人は、実際に登校中の生徒に門扉を押し戻されるなどの経験もあり、具体的に門扉で生徒を挟む可能性のあることを認識し得たものと認められ、事故発生の予見可能性があることは明らかである。

(2)  弁護人らは、現に生じた結果のほか、その因果関係の概要を予見することが可能でなければならないとの見地から、本件では、門扉が頭部に衝突しないと死の結果は発生しないところ、Eのように、前傾姿勢で門を通過しようとする生徒のあることは予見できないし、他の生徒は諦めて門前で停止しており、成人に近い判断力のある生徒が、危険を省みず閉まりかけた門を通過する行為に出ることは予見できないというのであるが、高塚高校では、遅刻に対しグラウンドを走るペナルティがあり、ことに当日は学期末試験が行われることから、制裁等を受けることを日常以上に避けたいため、生徒が危険を冒しても門内に走り込もうとしやすく、その際、頭を低くした前傾姿勢となり得ることは、通常予測し得ることと考えられ、被告人自身、前記のように、以前に門を押し戻してまで門内に入ろうとした生徒があったことなどを具体的に知っているのであるから、生徒が閉まりかけの門に向かって走り込むような危険を冒してでも通用門を通過しようとすることを予見し得たものというべきであり、Eのように、閉じる門扉と門壁の間を姿勢を低く、頭を先にして走り抜けようとする生徒のあることも、予想できることと認められる。

してみると、その見地によっても、被告人には本件事故の予見可能性があったということができる。

(三)  信頼の原則の適用について

(1)  弁護人らは、高塚高校では校門指導に際し、過去に自然に形成された役割分担により、門扉を閉める役以外の教師はチャイムが鳴るまでに門前に集まり、遅れてきた生徒を制止していたのであるから、閉鎖役の教師は門扉を速やかに安全に閉鎖するため、他の教師がその役割を正確に果たしていることを信頼することが許されるのであり、被告人には当日他の教師がこのルールに違反して待機していないことを想定した結果回避行為の義務はないというのである。

しかし、行為者に結果予見可能性があるのに、可能な結果防止措置をとらず、このため事故が発生した場合、現場近くにいた他人の適切な行為を信頼することが許され、いわゆる信頼の原則の適用によってその過失責任がないというためには、少なくとも、行為者と、その他人との間に一定の共通の行為基準があって、互いに相手がその基準に基づいて行動することを信頼する関係があり、これを信頼した行為者の過失責任を問わないことが社会的に相当と評価される実情にあることが必要であると考えられるところ、本件校門指導に際する門扉の閉鎖については、前記認定のとおり、校門指導にあたる教師の作業分担の規定、申合せや慣行はなく、従来のやり方では、普通は、三名であればそのうち一人か二人が閉鎖する役となり、他の教師は生徒を追い込んだり遅刻簿に記入するだけの役になったというのに過ぎず、校門指導にあたる教師相互間に、事前に門扉閉鎖の作業について、生徒の危険防止のために分担すべき役割につき共通の行為基準があったとはいえない。

(2)  そして、当日の被告人と西田、春日の三名の当番の教師相互間でも、暗黙のうちに被告人が閉鎖する役となることは認識されていたとしても、被告人が門扉を押して閉めるのか、引いて閉めるのか、あるいは門扉を閉め切るのかどうかなどの点の確たる共通理解があったことは認められず、当日の門扉閉鎖が生徒を挟むおそれのある行為であるかどうかについてさえ共通認識がなかったことに帰するのであり、門扉の閉鎖までに三名の間で、危険防止のための作業分担の打合せ等も全くなかったから、他の教師に、門扉の閉鎖による危険を防止する目的で門の前に待機することを期待できる状況にはなかったことになり、本件については所論の信頼の原則を適用する前提を欠いているといわざるを得ない。

(3)  そうすると、被告人において、校門閉鎖の際に、前記のように、他の二名が門の外側にいて、生徒を制止してくれると思っていたとしても、信頼の原則により被告人に過失がないということはできない。

7  以上のほか、弁護人らが詳細に主張するところを検討しても、判示の業務上過失致死罪の認定を左右するには足りない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、行為時においては平成三年法律第三一号による改正前の刑法二一一条前段、同改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号に該当し、裁判時においては同法律による改正後の刑法二一一条前段に該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから、刑法六条、一〇条により、軽い行為時法によることとし、所定刑中禁錮刑を選択し、所定刑期の範囲内で被告人を禁錮一年に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、被告人が、高塚高校の教師として、登校生徒に対する校門指導中、登校時刻に遅刻者を確認するため、生徒通用門の門扉を閉鎖する際に、通用門に駆け込もうとする生徒の動静を確かめないまま、門扉を閉鎖した過失により、門扉閉鎖の直前に通用門を通過しようとした女子高校生を鉄柵製門扉で圧死させたという業務上過失致死の事案である。

その過失の態様をみると、被告人は業務上、通用門の門扉を閉めるにあたって、その門扉の大きさ、構造、重量や、門壁の構造などから、これに生徒が挟まれた場合、死亡の危険性があることを認識でき、また、過去に生徒と門扉の押し合いになったり、軽微ではあったが生徒の身体に門扉を接触させたりしたことがあって、生徒を門扉で挟むおそれがあることを認識できたのにかかわらず、厳正に遅刻指導を行おうとするあまり、生徒の安全を軽視し、その動静を十分確認せず、門外から生徒が近づくのが見えない状態のまま門扉を後ろから押して閉め、生徒の頭部を重い門扉とコンクリート壁との間に挟み、脳挫滅により死亡させたもので、被告人が、生徒の安全登校についても配慮すべき立場にある教師であることなどを考えると、被告人の業務上の注意義務違反の程度は重いものがある。

被害者は、本件の約三か月前に高塚高校に入学したばかりの同校一年生であり、事業を営む両親の長女として、伸び伸びと成長し、豊かな将来を夢見ていた少女であって、当日も高校での初めての学期末試験を受けるため、早く門を通ろうとして全力で走っていてこの事故に遭い、ついにその試験も受けることなく一五歳にして短い一生を終わったのであり、その無念は量り知ることができず、その家族らの悲しみや、怒りにも甚だ強いものがあり、両親が捜査官に対して被告人の厳重処罰を求めていたのも、無理からぬものがある。

これに対し、被告人自身の側から、慰謝等の格別の方法を講じたことは、証拠上いまだ認められないところである。

また、本件は、高校教育の現場で、保護者から生徒を預かり、これを育成する立場にある教師が、不注意な行為により生徒を死亡させたという事案であることから、被告人の所為は、教育に携わる者一般に対する社会の不信を生じ兼ねない性質をもち、本件の結果は、相当重大である。

更に、被告人には、生徒を殴打し、傷害罪で罰金に処せられた前科が一犯ある。

このような事情に照らすと、被告人の刑事責任を軽視することはできない。

一方、従来、高校教育の現場においては、県下の各高校で、学校教育法等の趣旨に基づき生徒の生活指導に努力が重ねられている中で、高塚高校においても開校以来生活指導面に特に力を入れていたのであるが、同高校では、生活指導の一環としての遅刻指導につき、登校時刻に門扉を閉じてこれを行うことにした際、門扉閉鎖の仕方によってはこれに危険が伴うことに十分注意が及ばず、安全な門扉の閉め方や、危険防止のための作業分担等の指示、取決めがなく、これらをその日ごとの当番者の裁量にまかせていたものであり、これは、同校の生徒指導部の一員であった被告人個人の刑事責任とは別に、当時、学校として、生徒の登校の安全等に関する配慮が足りなかったことを示すものであるといわねばならない。

本件事故の当時、現場近くには他に二名の校門指導当番の教師がいて、被告人と同じく当日の校門指導にあたっていたのにかかわらず、事故が防止できなかったという、まことに残念な事態は、右のような配慮が事前になされていれば、なかったと思われる。

そのほか、被害者も遅刻になるのを免れようとして、懸命に通用門に駆け込み、却って災いを招いたこと、被告人は社会科の教諭としての教科の授業のほかに、当時まで在職した三つの高校のそれぞれにおいて、荒れがちな高校教育の建て直しの基本であると考えた生活指導につき自分なりの情熱を傾けてきた教師であること、被告人は刑事責任を争う態度であるものの、事件については反省しており、事件直後被害者のため焼香することも遺族に許されなかったが、毎日被害者の冥福を祈っていること、その年令、経歴、罰金刑以外の前科はないこと、本件により、懲戒免職の処分を受け、その後も定職がなく、一時的な職業を転々とすることを余儀なくされ、社会的な制裁を受けていることなどの事情を被告人のため十分参酌しても、被告人に対し、業務上過失致死罪の所定刑中禁錮刑を選択することはやむを得ないが、右のような情状に鑑み、その刑の執行を猶予し、社会において、自ら改善の努力をさせることが相当であると考える。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官加藤光康 裁判官中川隆司 裁判官二宮信吾)

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